今から二十年以上前のことですが、夜行バスに乗って以前あなたが住んでいたと思われる場所へ、ひとりで行ってみたことがあります。それよりもっと昔、ひとづてに知り得ていた二度目の転居先を記したメモを頼りに。
その時おそらくあなたはすでに独立された後で、ご両親ももう其処にはおられませんでした。それぐらい私にもわかっていましたから悲しくありませんでした。こんな所に大事な想い出はないのですから。あの日見失ったあなたはしばらくここに居たんだな、そう思っただけです。
もし住んでおられても、会おうとはしなかったでしょう。私にはあなたに謝ることもなければ、言い残した言葉もない。私にとってあなたは自分から会いに行ってはいけない人。もう何処のなんという町だったのかも忘れてしまいました。ただ淡いオレンジ色のガーベラが咲く、可愛らしい洋風のお家だったということだけ覚えています。
私たちがもしまた会えるとしたら、それはあなたが私のことを思い出し、会いたいと思ってくれた時と心得ています。そして、今ではないということも。何年経っても夢に見るほど、すれ違う人と見間違うほど恋しいけれど、遠い土地の思い出に縋らなければならないほど追い詰められたあなたを想像したくはありません。大事なあなたにはこの先も健やかで充実した日々を送ってほしいと思っています。そうやっていずれ人生の黄昏時を迎えたら、ある日ふと「そう言えば、あいつはどうしているのかな?」と、懐かしく思い出してもらいたい。もしもその時、微かな縁がまだ生き続けていたら、あなたの方から年老いた私を訪ねて来て下さいな。そうなればきっと、あなたも私もうれしいと思います。かつての友に残された時間の限り、あなたが忘れてしまった他愛もない出来事と、その時あなたが発した言葉と愛しい仕草まで、ひとつ、ひとつ、丁寧に、慈しむように話してあげましょうね。
だからこれは遠い約束のための手紙です。永遠に私の心の中にだけ生き続ける、想い出のやさしいあなたへいつか届きますように。
よう
2021 2/22