此処に来て、想い出のあなたと向き合う時、私は厚かましくも十六歳の少女のままですが、本当のあなたは今もこの世の人なのかしら? 縁起でもない話ですが、もしもあなたの訃報を聞いたとしても、さほど動揺しない自信があります。だって私にとってあなたは、既に死んでしまった人と同じようなもの。もう二度と会えないどころか何も知ってはならないし、同じ記憶を辿ることさえ出来ない異世界の住人なのよ。ほらね、亡くなった人と一体何が違うと言うのかしら。
 さあ、その異世界とやらに暮らすみきちゃんは、こちらの世界の、それもほんの些細な出来事なんてちっとも覚えていないでしょうから、今日もあなたの素敵なところを書き出して、私が教えてあげますね。こんな親切な友人がいたことを感謝なさいよ。あなたが愛してあげた人たちでさえ今となっては思い出せないぐらい、それはそれは古い記憶が頼りの孤独な作業だけど、この私にはなんてこともないお安い御用ですから。だって私はね、何度も言うけどあなたのことが誰より大好きだったのよ。
 なのに肝心のみきちゃんには、この想いがどれほどのものか分からなかったみたいです。俺がほしいのはこんなものじゃないし、お前なんか必要ないって。分からなければ少しぐらい試してみればよいものを、文字通りの秒殺でした。こんなに好きになってあげたのにバチ当たりな人でしょう? ねえ、そう思いません? 内緒ですが実はもっとひどいことも言ったんです。知る人ぞ知る昭和の黒い受話器から。でもそれは封印しました。その後の長い人生を生きてゆくのにとっても辛かったから。今更ごめーん、なんて言われたってもう遅いから、あの世で再び会った時うんと謝ってもらおうと思って楽しみにとってあります。クスクス…だって一発で形勢逆転、相当強烈なカードだもの。完璧に生きたつもりのあなたも粉々に吹き飛べばいい。あら、これは本心ではありませんよ。大目に見てやって下さいな。幾つになっても子どもっぽい私は、気を付けていても時々憎まれ口が飛び出すのです。だからね、みきちゃんだって仕方がなかったんです。あの当時の私たちはまだほんの子どもだったから。
 彼に限らず誰だって自由で若い時は、たとえ人を踏みつけてしまっても、目前に輝く夢が全てだと思うでしょう? あの人が未来へ羽ばたく時、たまたま傍にいた私がモタモタと逃げ遅れ、哀れにも下敷きになっただけのこと。マトモに踏みつけられたから、私の心は一反もめんみたいにペラッペラになっちゃって、もう再起出来ないかと思ったわ。だけど、彼は彼の護るべき大事な人を悲しませたわけではないのですよ。これはみきちゃんの名誉に関わることですから、念のため。私の想い出のみきちゃんは誠実で男らしくて永久にやさしい人なんです。
 そうして勇ましいみきちゃんは、彼が感じることの出来る中でも最高の幸せを手に入れたはずだから、いずれそのまま素晴らしい人生を全うすることになるでしょう。彼が築いたかけがえのない幸せは、この私の大いなる慈悲の拠出によって担保されている(私ったらあの人が好き過ぎて、なんとまあ大袈裟で筋違いな言いがかりを!)、と思えば気分がいいし、愚かな私は大好きな人のお邪魔にならなくてよかったと思っています。だってこんなにも大事な人が自分のせいで不幸になったりしたら、それこそとても悲しく辛いでしょう? そして、いつの日か此処に来て私の欠片を見付けた彼は、あの愛おしい文句を言って「あいつは相変わらず馬鹿だなぁ」と笑ってくれる。その時やっと、お日様の光も届かない深い心の底で、密かに大事にしていた女の子を思い出し、心から会いたいと思ってくれる。
 再会の手順を違えてはならない。一層苦しむことになり、しかももう、後がないから。
 私はこの世の縁で結ばれた大切な家族と共にまだまだ元気で生きるつもりです。そうするうちにやがて消え去った後は、そんな愉しい夢を見ながら永遠に眠り続けることに決めているのです。 

              よう

 あれはあなたが転校する前の学年を修了した日でした。あの時ね、大事なあなたがお世話になったお礼にって、お母様が手作りのお菓子を持たせて下さったの。一つ、一つ、セロファンで丁寧に包まれたクラス全員の分のマドレーヌが、美しい箱にきちんと詰められていて、まるでケーキ屋さんでそのまま売っているみたいに綺麗だったわ。よく覚えているでしょう? だってその時も傍にいた私は一番に中を覗いたんですもの。だけどあなたはね、箱を開けたら隣の私にくれないで、真っ先に先生のところへ持って行っちゃったの。そして先生に差し出して、丁寧にご挨拶したのよ。
 たとえ前の日に練習したって、子どもにあんなことは出来っこないの。そんなふうに礼儀正しくて、しかも流れるように自然な動作がね、とても素敵だなぁって思ったの。同い年なのに大人の男の人って感じがしたわ。ちょっと目がハートになってたかも。それからね、やっと私たちのところへ持って来てくれて、「なんだ、かたくてカチカチだなあ!」なんて照れ隠しの文句を言いながら、あなたも一緒に頂いたのよ。思った通り、お母様のマドレーヌはとてもおいしかったわね。後から私も真似して作ってみたりして、ありふれたお菓子だけどこれもまた、あなたへ繋がる愛しい想い出の品のひとつです。
 それとね、せめてこれぐらいは知っていてほしいけど、私はもうその時はあなたが間もなくいなくなることが悲しくて、悲しくて、泣いてばかりいたの。体育の授業中に泣き出して、お友だちも先生もびっくりするぐらい。もうすぐいなくなる人なのに、私のことなんかちっとも好きじゃない人なのに、どんどん、どんどん、好きになっていったのよ。あなたの心が何処にあろうがそんなことはどうでもよかった。想い想われ成立するものが愛ならば、こんな淋しい処へ人はどうして次々とやって来るのかしら。そんな特権を持たない私はね、ただあなたがいて、密かに目で追うことが許されて、時々話をすることが出来たならそれでよかったのに。小さな願いは叶わなかった。
 それからね、これはもっと前のこと。まだずっと友だちでいられると思っていた頃よ。授業の合間の休み時間だった。隣の教室にいたあなたが廊下へ出て来て、誰だったか覚えていないけど男子としゃべっていたの。休み時間は短いのよ、私のみきちゃんをとらないでよ。さっそくあなたに話しかけようとしたらね、すぐにこっちを向いてくれると思ったのに、あなたは片手を私の目の前に差し出して、大きな手のひらで私がしゃべり出そうとするのを制したのよ。お行儀の悪い犬に「待て」の合図をしたのよね、きっと。
 星降る夜空も雷鳴も全世界を司るあなたの手のひらを、驚いた私は寄り目になるほど間近に見ながら「ああ、この人の言うことならどんなことでも従おう。この人に従えば間違いないんだ」と思ったの。だって私はこんなにお馬鹿さんだから。














    











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