過去のメッセージを公開にしたり非公開にしたりしているうちに、一番上にメッセージ3つきてしまいました。
公開日が変わるからなのですね。
先生は、あの頃、私が、どんなに先生のことを想っていたか御存じない、信じてもいらっしゃらないだろう。
それが、とてつもなく、悲しく、切なくなることがあります。
特に、5月が過ぎ、6月に入る、この時期は。
週に1回、仕事で行く場所があるのですが、そこに行くたびに、石岡を思い出します。
石岡、、、もう、閉鎖されてしまって、ないみたいですね。
石岡での泊り仕事の日に、18時頃に会いに来てくださって、20時頃に帰って行かれた時のことを、懐かしく思い出します。
私がいない間にかかってきた電話をおとりになってしまって、、、事務さんに不審がられて困りました。
カンファレンス用の資料を届けてくださったんです、なんて、嘘ついたのでしたっけ、、、
あの翌日、会いに来てくださったのがうれしくて、筑波山の駐車場まで一人ドライブしました。
一緒に筑波山の駐車場から見た夜景、懐かしいです。
先生が最後に留守録に残してくださった言葉は、”今までありがとう”でした。
誰かが自分の傍にいてくれるというのは、決して、当たり前のことじゃない。
あの時は言えなかったけれど、私こそ、あの頃は、本当にありがとう。
あんなに幸せな感情を教えてくださって。
傍で私を支えてくださって。
どうぞ、今も、健康でお幸でありますように(祈)。
誰かを支える星のような存在でありますように(祈)。
誰かの愛情を確信できる幸せを、豊かな幸せを、享受していらっしゃいますように(祈)。
”祈りは、祈る側にとっても、祈られる側にとっても力”と申します。
この祈りの感情も、ひとつの愛だと思っています。
先生、あなたは、愛されている存在なのよ。
ずっと、ずっと、愛されている存在なのよ。


戻 る






Back to Top